新しい生活様式で見直される”暮らし” 三重県に移住した人たちの多様な暮らしぶりを紹介 三重県の 魅力を 発掘・発信 「わたしたち三重で暮らしています」
例年話題となる「住みたい街ランキング」。新型コロナウイルス感染症の流行という未曽有の影響もあり、人々の働き方、また住まいの選択にも大きな変化が表れています。大手不動産・住宅情報サイトのランキングでは、今まで人気だった首都圏エリアは軒並み順位を落とし、準近郊・郊外エリアに位置する街がランキング上位に躍り出るといった結果も発表されました。
また、コロナ禍の影響でテレワーク(在宅)を導入する企業が増え、関東のみならず地方への“新しい生活”を選択、移住する人々も増えています。三重県では移住を考えている人々に三重の魅力を知って頂けるよう、
三重県内の移住者の日常を追いかけた動画をリレー形式で紹介しています。
■わたしたち三重で暮らしています
(https://www.youtube.com/playlist?list=PLm7P52vkZ3G5BHxdqgZkhtYtD6loMiyrC)
今回のレターでは、十人十色の移住者の暮らしをピックアップして紹介します。
オープン3か月で“地元の人に愛されるお店へ”
多気町「金川珈琲 3代目オーナー」金川幸雄さん
3代続く東京発の老舗コーヒー店が“三重県多気町”に
金川さんは祖父の代から続くコーヒー豆の焙煎業の3代目で、祖父の英一さんが1951年に店を開いたのは東京の大田区。父・正道さんはブラジルのコーヒー農園で学び、帰国した父のもと、金川さんは焙煎を極め、コーヒーを本当においしく飲める場所を探し求めて、三重の地を選びました。
「三重県には来たこともなかったし、伊勢神宮や松阪牛以外に何があるのかもよく知らなかったんです。いろいろ調べてみると、おいしいものがたくさんあり、他の都道府県に頼らなくても生きていける地域だと感じました」と多数の候補の中から、三重県への移住を決断しました。店に選んだ築135年の古民家。「みなさんが気にかけてくださる。ここに来て人の温かさがうれしかったです。三重県には全てが揃っていると思います。商売もチャンスはあるし、海、山、川と自然は豊か。いろんな顔を持っている場所なので、東京の友人にはふるさとを訪ねる感じでゆっくり遊びにきて欲しいと話しています。」金川さんは充実した日々を送っています。
尾鷲が元気になる空き家を活用したさまざまなプランを考案
尾鷲市「NPO法人おわせ暮らしサポートセンター 副理事長」豊田宙也さん
10年後、20年後のまちの姿を思い描き、尾鷲の可能性を広げる
2014年9月に豊田さんは東京都品川区から地域おこし協力隊として移住してきました。尾鷲市九鬼町で唯一の飲食店「網干場(あばば)」の開業・運営に携わり、3年間の任期が終わった今も、土曜・日曜は、スタッフとしてサポートしています。また、築80年の空き家を改修した本屋「トンガ坂文庫」をオープンし、本を売るだけでなくコミュニケーションの場になればと、尾鷲出身のアーティストの展示会をしたり、新型コロナウイルス感染症の拡大で自粛生活が続いた頃には、おうち時間を楽しんでもらおうと、本と地魚の干物をセットにして通信販売を始めました。
「NPO法人おわせ暮らしサポートセンター」では市内の空き家の利活用に取り組み、その拠点である「見世土井家住宅」、通称「土井見世」はシェアスペースとして運営、ワーケーションで遠方から訪れる人も受け入れています。「尾鷲にやってきた当初、定住を考えてはなかったんです」と豊田さん。網干場を町の人と一緒に運営する中で、本屋への夢が湧き、一人では無理だと構想をあたためたままでいると、仲間に出会い、その夢を実現させました。ゼロからの事業をつくりあげ、コツコツと活動を積み重ねる豊田さんの周りには、人の交流が生まれています。
8,500本のイチゴをたった一人で管理し育てる
志摩市「いちご農家」伊藤敏宏さん
自然に囲まれて家族と共に過ごす「ここでの暮らしがベスト」
大阪で食品会社のサラリーマンをしていた伊藤敏宏さんは、志摩市浜島町に移住、幼い頃から大好きだったイチゴ農家を営んでいます。ハウスは1反(1,000平米)で、およそ8,500本のイチゴが植わってますが、当初から広さも本数も変わらず、作業は一人で行っています。農業の仕事は、日照不足や低温、多雨など気象状況によって対応が必要ですが、「海や山が近くにある素晴らしい景色は自然の一部。うまいこと付き合っていかなければいかんなと思っています。」と伊藤さん。
伊藤さんの移住の決め手となったのは子育ての環境です。都会での暮らしは、1日中アスファルトを歩き、自然といえば街路樹くらい、車と電車の音が耳障りに感じることもあったそうです。そんな中、夫婦揃って大好きな海のそばがいいと、妻・喜代子さんの実家があり、静かで自然が豊かな志摩市浜島町に移住を決めました。「自然の中で伸び伸びと、子どもがいろんな経験をしながら大きくなっていくことが一番良かったことですね。」と自然に囲まれて家族と共に過ごす今の暮らしに満足しています。
農園を通じて地域を盛り上げる
いなべ市「いなべ市立田農園 農園長」小野綾子さん
野菜づくりに正面から向き合い、愛情を注ぐ
いなべ市藤原町をもっと元気にしようと2018年に誕生したのが「いなべ市 立田農園」。“養鶏場跡地を農園にして地域活性化の拠点に”というコンセプトと、住民の方の地域への熱意に共感して移住を決めた小野綾子さん。小野さんはミニトマトを主力商品としつつも、「競争力が高くかつ需要のあるものを」とマイクロトマト、フィンガーライム、食用ほおずき、ローゼル、ルバーブなど何十種類もの野菜を試作栽培し、直売所や地元のレストランなどへ積極的に使ってもらえるように働きかけています。
また、小野さんは「直でミニトマトを食べてもらうと、『なにこれ!?』『甘い~!』とすごく喜んでもらえるんです。ああ、認めてもらえてるんだ、おいしいんだなという自信がつきます。」と、直売所で野菜を売る楽しみも発見。地域の住民と連携しながら希少価値の高い野菜を生産・販売するなど新しい可能性を追求し、また農業技術の継承などに取り組むなど、さらなる課題にも向き合っていきたい、と胸を張ります。
人々との出会いが最大の収穫
伊賀市「伝統工芸 伊賀くみひも工場勤務」 高橋健作さん
https://youtu.be/5NIQmY91Gto
自分の本当にやりたいことを笑顔で続ける毎日
高橋さんは伊賀くみひもを作る工場での機械の調整や修理の仕事を軸に、余暇に自家菜園で野菜を育てたり、まちを盛り上げる活動にも積極的に参加。例えば18~35歳の人たちと伊賀の活性化に取り組む「若者会議」や、地域の観光コンテンツや土産物の開発に取り組む「観光まちづくり企画塾」、伊賀市在住の外国人に日本語を指導する「伊賀日本語の会」、さらには消防団にも参加しています。「前職の頃は朝から晩までひたすら仕事でしたが、ここでは出会う人たちも行く場所も多種多様、生活に幅と奥行きができました」と高橋さん。
田舎への移住を夫婦で考えた当初、伊賀は数ある候補のうちのひとつでした。人が優しくて温かく、市の移住相談窓口もしっかりしていること、移住者同士の集まりも積極的に行われていることなども後押しになり、伊賀の地に決めました。高橋さんの住む家は空き家バンクで見つけた築160年ほどの古民家を自分たちでリノベーション。この家で妻の由加里さんは高台を使って手で伊賀くみひもを組んでいます。「本当に自分がしたいことは何かを考え、できることを見つけてやっていく。それが実現できるから、伊賀の毎日はとても楽しい。」と笑顔の高橋さん。
マルチな才能を発揮し地域で活躍
鳥羽市「フリーランス(映像制作・デザイン)」 佐藤創さん
地域に新鮮な風を吹かし、好循環を生み出す
東京で映像制作の仕事をしていた佐藤さんが、鳥羽市に地域おこし協力隊として赴任したのは2017年。移住前に鳥羽市を訪れた際「移住後の生活をリアルに想像できた」というのがこの地を選んだ理由です。現在は鳥羽なかまちで本業の映像・デザインの仕事に加え、カフェの運営、イベントの事務局や原稿執筆、空き家の案内、コワーキングスペースの店番まで、マルチに地域と関わる活動をしています。
2020年10月には古い床屋を自身でリノベーションしたカフェをオープン。地域外の人がなかまちで空き家を買い取って再生、新しい事業を立ち上げたのは佐藤さんが第一号。これまで知らない人には貸さない・売らないが当たり前だった地域の意識に変化が。「こんなふうに再生してくれるんだ、じゃあうちもお願いしようか。地元の人にそんな風に思ってもらいたい」と佐藤さん。地域の人たちとの交流が佐藤さんの背中を押し、そこから新しいものが生まれる。鳥羽なかまちには今、そんな好循環が生まれています。
地域の人の勧めで始めた「養鶏」
松阪市「自然養鶏農園 亀成園(かめなりえん)」 成岡篤史さん、真清さん
日々穏やかに楽しみを紡いでいくような里山での暮らし
大阪、中国、フィリピンと各地での製造業の駐在生活を経て、成岡篤史さんと真清さんは「川の近く、生きものの近くで暮らしたい」と家族で松阪市の自然豊かな飯高町に移住。仕事は主に養鶏で、現在は烏骨鶏をはじめ100羽弱の鶏を飼育しています。ほかにも先輩移住者から声をかけられ、麦の栽培も始めました。また、自宅の敷地内にあるゲストハウス「亀成園(かめなりえん)」の運営や、地域開放型図書館での読み聞かせなどボランティア、コミュニティスクールの活動と、成岡家の1日のスケジュールは、様々な仕事でぎっしりです。
「新しい土地に移住し、新しい仕事を始める。すべてが手探りであり、知り合いもほとんどいない土地で、最初は不安だらけだった。それを乗り越えられたのは、まずやってみて、そしてうまくいかないことはためらわず軌道修正してきたから。軌道修正の過程で自然と人との縁ができ、人と知り合うと機会が何倍にも増えビジネスチャンスも生まれます。」と成岡さん。日々楽しく暮らすことがこれからの人生の目標です。
お店とデザインを通じて商店街を盛り上げる
四日市市「デザイナー」岡本亜希さん
おいしい食材、商店街の仲間に囲まれた居心地の良い場所
夫の英志さんが飲食店をオープンすることをきっかけに、東京から四日市市に夫婦で移住し、大好きなデザイン業を続けながら、お店のある駅前商店街を盛り上げようと活動しています。夫婦二人三脚でオープンした飲食店では、空間デザインやロゴデザインを手がけました。2018 年からは商店街の役員をつとめるなど、商店街の人たちにとって、亜希さんはすでに「キーマン」というほど大事な存在に。デザインのスキル、女性目線、東京での経験と、彼女ならではの武器 、さらに、商店街を歩くとほぼ全ての人が顔見知りで、いつのまにか地元の人と深くつながっている抜群のコミュニケーション能力を持つ亜希さんを、多くの人が頼りにしています。「最初は飲食店とデザインの仕事が結びつかなかったけど、今はお店全体が私の“一つの作品”とも言えるようになってきた感じです。好きなことを仕事にし、おいしい食材と美しい自然、そして気の合う商店街の仲間達に囲まれてすごく居心地がいいです。」と充実した毎日を過ごしています。
地元の木を活かして人を、まちを元気にする
名張市「リフォーム専門の工務店 イエノキ」野山直人さん
木々がある風景をみられる生活。「やりがい」しかない毎日
名張に生まれ育った野山直人さんは高校卒業後、大阪に出て建築の設計技術を学びました。大都市でコンクリートに囲まれた生活を送るうちに「木」が無償に恋しくなり、奈良の木造住宅会社に転職して大工修行。そして名張を出て9年後、2014年にUターンします。久しぶりに故郷に戻った野山さんは、子どもがいない、空き家だらけの景色を目の当たりにし、自分の持っている建築の技術でこの現状を変えようと決意、2017年リフォーム専門の工務店「イエノキ」を設立しました。築140年の古民家を拠点に、リフォームをメインに木造住宅の魅力を伝えるほか、ワークショップを開催し、木と触れ合う生活を伝える活動をしています。木の魅力を活かした地道な活動を行うことで、林業家、山師、製材所等のつながりも深まり、木材への親しみや木の文化への理解を持たせる「木育」にもつながると考えています。「すべてを自分で決めて行動しなければいけない今のスタイルは相当にしんどい。けど、楽しい。木々があり、空がある。空気が、水が、食べ物がおいしい。毎日この風景を見られる、それがいいんですよ」。自分がワクワクできるものに向かっていくこと。苦楽をふくめて「やりがい」しかない毎日を、名張で過ごせていると野山さんは実感しています。
野菜栽培やシェアハウス運営を通じて築く新しい絆
熊野市「無農薬野菜栽培/シェアハウス『農の家 雨宿り』」雨宮伸都さん、静香さん
農業と民宿の両立で豊かに暮らす日々
2017年に地域おこし協力隊として東京から赴任してきた雨宮伸都さんと妻・静香さん。ここに決めたのは、田舎で農業と民宿を両立したいというふたりの希望が叶えられる場所だったから。移住前は農業法人に勤務、現在は無農薬野菜を50~60種ほど栽培しており、育てた野菜は定期的に熊野市駅近くの「食堂あお」に卸しています。さらに、シェアハウスの「農の家 雨宿り」も2020年3月より運営、さらに一棟貸しの農家民宿のための家を改装中と、新しい生活は順調に進行しています。
雨宮さんは、熊野市ふるさと振興公社からどぶろく造りの管理を任されたり、罠猟の免許を取得し、猪や鹿を捕ったり、さらに第一子が誕生するなど、今は毎日が新しいことだらけ。雨宮家の毎日の日課のひとつが犬の散歩。親子3人と犬一匹で、20分ほどかけてのんびりと近所を歩きます。散歩は「ここに来てよかった」と日々実感する、1日のなかでも特別な時間なのです。